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2021.07.12 Monday

歴史街道・京北編 その2

こんにちは。

今回の歴史街道・京北編は「山国神社」です。

長くから山国地方の氏神様として鎮座しています。

インスタやFacebookでは、説明を簡略していますが

ここではちょっとわかりやすく現代版で書きたいと思います。

興味ない人は、読まないでください。

もともと、この京北に無かった神社がなぜできたのか?

桓武天皇が794年に平安京に引っ越しする際に、

793年から建築するための木材をこの京北で調達することになりました。

770~780年頃から修理職(天皇関係の建築士及び宮大工ってトコ)が

作ったとされます。

で、この建築に関わった「和気清麻呂」さん(一級建築士的な?)が

794年に祭主(会社の社長さみたいな人)になりました。

で、200年経った1016年

当時の天皇「三条天皇」さんが、

「200年余り、天皇家のために京北の木を用材として提供してくれて

ありがとね。なんかお礼したいし、うちの紋を神社に入れ~な。

御祈祷所にもしたらええしー」って言って、

五大明神に指定してくれました。

要は、5本の指に入る神社やで~。です。

京北で。

さらに、200年の時がたち

1180~1185年 治承・寿永の乱で戦場になって破壊されました。

いわゆる源平合戦ですね。

1233年、時の天皇、四条天皇さんが建て直ししてくれました。

この四条天皇さん、1231年生まれです。

???

2歳です。

簡単に言うと、「とりあえず天皇」です。

結局のところ、取り巻きのお偉いさんが指示・再建したと。

そして100年

1333年、「元弘の乱」でまた破壊されました。

鎌倉時代末期ですね。

しかし、よう壊されますねー。

1370年

将軍の足利義満の部下「細川頼之」さんが、ちょっと「おいた」して

この山国地方に自宅謹慎となりました。

3年後、1373年

謹慎解除で復職祝いで社殿再建開始。

1399年

神社完成です。

この時に義満っちゃんが

「よう頑張ったね~。うちの家紋入れてええよ。」ってことで

「丸に二つ引き紋」が神社の紋章となったわけです。

そして、50年後です。

1467~1590年 日本は戦国時代に入ります。

当然、この地、京北も影響は受けて

またまた、神社が破壊されました。

1596年慶長元年(豊臣秀吉政権時代です)

後陽成天皇が、また再建してくれました。

この人、すごい人ですね。

肩身の狭い天皇家のために秀吉に「一緒にがんばろー」っつって

仲良くして自分の「家」を守った人です。

すごいですねー。(村西とおる)

長らく太平の世が続き

1873年(明治6年)文明開化ちょいすぎですね。

社格の「郷社」に格付けされました。

1900年(明治33年)さらに社格が「府社」にランクアップしました。

その時に宮司さんになったのが藤野斎さん。

1868年に岩倉具視の指示で作られた「山国隊」の一人です。

鳥羽・伏見の戦いのための軍隊のひとつですね。

この戦いが戊辰戦争の初戦となったわけです。

藤野さんの息子が「日本映画の父」と言われる牧野省三です。

さらに詳細があると思いますが、調べたところこんな感じです(笑)

「イってQ」に出てる吉本興業の芸人「宮川大輔」さんが

この牧野省三さんの子孫になります。

歴史は本当におもしろいですね。

では、また。

 

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